日本三景「松島」。
天橋立、安芸の宮島と並ぶ日本三景の一つ。東北を代表する観光地で、松島湾に浮かぶ島々が作り出す美景に多くの観光客が訪れる。
松島の島々や、浦戸諸島の島々を中心に、松島湾周辺に点在する四大観をはじめとした日本三景関連の観光スポットや地理、ヘリテージング、寺社など、自然観光スポットと地理について、プロットした地図と解説を掲載。
日本三景「松島」と浦戸諸島周辺の島々、地理や観光スポットと地図。
松島と浦戸諸島、その周辺の地理
松島は、仙台湾の支湾である松島湾に浮かぶ約260の島々からなり、その周辺も含めた風景全般の事を指し、日本三景の一つとされている。
松島のある松島湾は仙台湾のほぼ中央にあり、南東に開けている湾である。
湾の入り口には、浦戸諸島の島々が湾に蓋をする形で広がっている。
松島湾内には、福浦島、焼島、九ノ島、など松島の風景を成す島々が浮かび、浦戸諸島には桂島や野々島、寒風沢島、朴島、鷺島、大森島、馬ノ背島などの島々がある。
焼島
九ノ島
松島湾最大の島である宮戸島は、松島湾の東にある石巻湾と松島湾を隔てる島であるが、こちらは陸繋島のため浦戸諸島には含まれないとされる。
浦戸諸島は、奥松島と呼ばれ、本土側からみた際に松島の奥に広がる島々で、美景の一端を担っている。
本土と宮戸島の間には、砂洲でつながっていた部分が掘削された潜ヶ浦水道が通っている。
宮戸島と寒風沢島の間には鰐ヶ淵水道が、野々島と桂島の間には石浜水道があり、こちらは天然の海峡を成している。
石浜水道
宮戸島の南東に位置する萱野崎に向かう海岸は、荒々しい奇岩の多い嵯峨渓と呼ばれる海岸線が続く。
宮戸島と本土をつないだ砂は、石巻湾に河口をもつ成瀬川から流出し、波と海流によって運ばれたもので、鳴瀬川河口付近には、ヘリテージング100選にも選出されている野蒜築港跡がある。
成瀬川 国道45号から河口方面
その鳴瀬川を渡るJR仙石線は、仙台と石巻を結ぶ路線。
鳴瀬川を渡った後、松島湾の沿岸に沿ってカーブし、湾の中ほどで東北本線と並び、塩釜港付近まで並走している。
塩竃港の南には砂押川から南北に延びる砂押貞山運河があり、その南側出口である砂川河口の西には仙台港が築かれている。
松島湾の中央部から南には、仙石線、東北本線と共に国道45号が走っており、更に内陸側には三陸沿岸道路が整備されている。
日本三景「松島」
日本三景「松島」は松島湾に広がる約260の島々からなる多島海で、湾の周辺の陸地部分や丘陵部分を含めた景勝地として名高く、年間600万人余りの観光客が訪れている。
湾内は水深が浅いため波が高くなりやすく、それに削られた奇岩や、島の海面に近い部分だけ波に触れ植生の無くなった特異な地形の島が多く、松島の風景に色を添えている。
松島の景観は古くから美景とされており、江戸時代には仙台藩の儒学者が松島の眺望に適しているとして周辺の高台など4カ所を「塩松環海四山」として選出しており、今日ではこれに由来する眺望地点として「松島四大観」と呼ばれている。
四大観は、壮観・大高森、幽観・扇谷、麗観・富山、偉観・多聞山の4カ所で以下、各特徴を記載。
壮観・大高森
宮戸島の大高森からの景観。標高105メートル、周辺が開けており景色の方向を限定されていない。松島の島々はもちろん、遠景に奥羽山脈も眺望できる。夕日をバックにした松島がみられる。
幽観・扇谷
松島湾のほぼ中央からの景色。標高55メートルで扇状に広がった景色は限定的だが、松島の静かな風景から幽観の名がつけられている。
麗観・富山
富山にある大仰寺からの風景。標高116メートル。南に松島湾と奥松島を眺望する。島々が整然として展望できる場所で、古くから句集の眺望や絵画等の構図として用いられている。
富山・大仰寺からの麗観
偉観・多聞山
松島を南から眺める眺望。目の前の馬放島と塩竃湾越しに松島の島々が広がり、奥行きのある風景が眺望できる。
その他の眺望ポイントとしては、西行戻しの松、新富山、松島城(と呼ばれる天守閣風建物)、双観山などがある。
西行戻しの松公園からの眺望
また、松島は月見の名所としても有名で、画題にもなってきた。
松島の月は、14世紀には中国にも知られるほど著名で、元代の薩都拉がその著書『雁門集』において「雄島煙波松島月」と記している。(Wikipedia 「松島」の雪月花)
松島、浦戸諸島周辺のそのほかの観光地。
松島、浦戸諸島には、天麟院や瑞厳寺、瑞厳寺の境外仏堂である五大堂など寺社仏閣が点在している。
瑞厳寺 五大堂
また、浦戸諸島の宮戸島東岸の萱野崎に向かう海岸線はあらあらしい断崖が続き「嵯峨渓」と呼ばれ日本三大渓の一つに数えられている。
嵯峨渓
宮戸島の北側、石巻湾に流れ出る鳴瀬川の河口付近には、日本ヘリテージング100選に選出されている野蒜築港跡がある。
明治初期の東松島市を中心に行われた港湾事業跡地であり、築堤途中で台風で突堤が崩壊し放棄された。
野蒜築港跡